梅宮アンナ “一番輝いていた瞬間” を懐かしむ
タレントの梅宮アンナ(36)が、自らが“一番輝いていた瞬間”を懐かしんでいる。
11日のブログに掲載したのは、実家から発見されたという2001年の女性向けファッション雑誌。妊娠中の梅宮が表紙を飾った思い出の一品で「アンナちゃんが教えます 秋まで直行 流行NEWS」という特集も組まれた。
その時にお腹の中にいた長女は来月で7歳。「ひえ~」と時の流れるスピードを嘆く一方で、「しかしいい写真だわ」とポツリ。「梅宮アンナが生涯で一番輝いていた瞬間」という写真を眺めているうちに、思わず懐かしさが込み上げてきてしまったようだ。
梅宮は01年にできちゃった結婚。02年に長女を出産したが、03年に離婚した。
梅宮アンナむふふな画像1 | 梅宮アンナむふふな画像2 | 梅宮アンナむふふな画像3 | 梅宮アンナむふふな画像4
★梅宮 アンナ(うめみやアンナ、1972年8月20日 - )は、東京都出身のファッションモデル、タレント。元スターダストプロモーション所属。父は俳優の梅宮辰夫。母はアメリカ合衆国出身(ドイツとスパニッシュの血が入っているといわれる)。川村中学校・高等学校を経て、東横学園大倉山高等学校卒業。血液型はO型。いとこに女優の梅宮万紗子がいる。*1990年代に『JJ』の専属モデルとして活躍。「アンナが着れば売上が伸びる」と言われ、雑誌の発行部数にも大きく寄与して一時代を築いた。専属モデルとしては珍しい雑誌間での引き抜きに近い移籍劇があった。
*1995年羽賀研二との交際の絶頂期に篠山紀信撮影によるペアヌード写真集『アンナ 愛の日記』を出した事もあり、これは羽賀の借金返済の一環だったとも言われているが、後にエッセイ『「みにくいあひるの子」だった私』の中で「私一人で考えて、純粋にメモリアルとしてやったものだった」と告白している。
*2001年テレビ朝日系「ほんパラ! 関口堂書店」の企画で初エッセイ『「みにくいあひるの子」だった私』を執筆している。
*2001年6月に結婚会見を開き、別の男性(飲食店従業員)とできちゃった結婚であることを発表。9月16日に結婚。2002年1月にアメリカで無痛分娩で長女を出産する。
*結婚後、アンナの夫は無職となる。しかし、定職に就かない状態が長く続いたこと、無職にも関わらず月に100万円も渡す夫に不信感を抱いたことが原因で2003年1月にスピード離婚した。長女はアンナが引き取るが、慰謝料は請求しなかった(長女は祖父である辰夫と共にテレビ出演する事もある。)。その翌年2004年7月に違法カジノを経営していたとしてアンナの元夫が逮捕された。結婚当時、青年実業家と紹介されていた元夫の経歴はウソであり、違法カジノで働く上客の接待係であることがマスコミにより明かされた。
*離婚後、Anna Umemiyaの名でファッションブランドを立ち上げ、バッグやパンプスなどをデザイン販売した。
*2005年には既婚者である中日ドラゴンズ内野手の立浪和義と2人きりで東京都内をドライブしている写真が週刊誌で暴露され不倫疑惑が取りざたされた(尚、アンナがテレビ番組「森田一義アワー笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに出演した際に、立浪名義の花輪が置かれていた事がある)。その後、ワイドショーのインタビューで父・辰夫が「既婚者との交際は認めない!」と立浪と交際している事を暗に認める発言をしている、その後も周囲の反対を押し切り立浪との交際は続いていたが、それからしばらくして立浪が球団関係者にアンナとの関係を指摘され「このままでは将来の指導者への道が断たれる事になる」と釘を刺された事などが原因で破局していた事が明らかになった。
*2007年6月30日付けでスターダストプロモーションと契約解除したことが7月4日に明らかになった[1]現在は30代の女性向けファッション、料理、ライフスタイルの情報雑誌『VERY』でモデルを勤めている。
*今後は父親である梅宮辰夫が立ち上げた個人事務所に所属し、ファッションデザイナーとして活躍する予定。
*2008年ニフティにて、梅宮アンナオリジナルブランド「Innocent」デビューし、インターネットにてTシャツの販売を始めた。
現在、音響会社の株式会社ジェー・エス・エスがアンナの仕事上の窓口になっている。ただし、所属タレントではなくあくまでもビジネスパートナーだという。









Leave your response!